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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)13255号 判決

原告 赤羽満佐次

右訴訟代理人弁護士 山本実

被告 福徳信用組合

右訴訟代理人弁護士 中嶋正起

同 小堺堅吾

同 八掛俊彦

主文

一、被告から原告に対する東京法務局所属公証人緑川享作成昭和四二年第一二六二号金銭消費貸借契約公正証書に基づく強制執行は、これを許さない。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

三、当裁判所が本件について昭和四三年四月二二日なした強制執行停止決定を認可する。

四、前項に限り仮に執行することができる。

事実

(双方の申立)

一、原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決を求める旨申し立て、

二、被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

(双方の主張)

一、原告訴訟代理人は、請求の原因、抗弁に対する答弁、再抗弁として、次のとおり述べた。

1.勧業信用組合(被告が同組合を合併し、昭和四六年一〇月五日その登記が経由された。)から原告に対する債務名義として、東京法務局所属公証人緑川享作成昭和四二年第一二六二号金銭消費貸借契約公正証書(以下、本件公正証書という。)が存在する。本件公正証書には、原告が勧業信用組合との間で訴外中村忠夫の同組合に対する左記債務につき連帯保証を約した旨および原告が右連帯保証債務を弁済しないときはただちに強制執行を受けても異議がないことを認諾した旨の記載がある。

昭和四二年七月一〇日貸付

金八〇〇〇万円

弁済方法は同年一一月から毎月末日限り金一〇〇万円宛を、最終回は金三一〇〇万円を、各償還し、昭和四六年一二月三〇日完済のこと

利息は日歩二銭七厘

遅延損害金は日歩八銭二厘

2.しかしながら、原告は、右記載の執行受諾の意思表示をしたこともなければ、連帯保証契約をしたこともない。

3.よって、本件公正証書は無効であるから、原告は被告に対し、右公正証書の執行力の排除を求めるため、本訴請求に及んだ。

4.被告は、本件公正証書に記載された執行受諾の意思表示および原告と勧業信用組合間の連帯保証契約は有効に成立したと主張するが、これは否認する。同主張の(一)(二)は不知。(三)(四)のうち、原告が借入申込書用紙の連帯保証人欄の原告名下に押印したことは認めるが、それは、原告が中村忠夫から、中村興業株式会社の設立に必要な書類であるといって騙されて押印したものであって、中村忠夫の借入金債務につき連帯保証することを承諾する意思で押印したのではない。(五)の昭和四二年四月一九日頃原告が田辺徹吉および西川茂から連帯保証の意思を確められてこれを承諾した事実は全くない。当時は、勧業信用組合が中村忠夫に金を貸すかどうか、仮に貸すとして、いくら貸すのであるか等全く分らなかったのである。(六)(七)のうち、原告が、取引約定書、委任状に署名押印し、また、中村忠夫に原告の印鑑証明書二通を交付したことはあるが、これらも、前述したところと同様、原告が中村忠夫に騙されてなしたものであって、原告において連帯保証をする意思は全くなかったのである。(八)宇井憲男が原告の代理人として本件公正証書の作成を嘱託したことは認めるが、同人には右代理権がなかった。

5.原告が、中村忠夫に委任状を交付したのは、会社設立登記の手続をする代理権を授与する趣旨であって、もし連帯保証契約の締結および執行受諾の意思表示のための代理権ならば、授与しなかったのであって、所詮右代理権授与行為は要素の錯誤により無効である。したがって、右委任状に基づいて、宇井憲男が原告の代理人としてなした連帯保証契約および執行受諾の意思表示は無権代理行為である。

6.宇井憲男は、勧業信用組合の使用人であり、同組合は中村忠夫からあらかじめ徴した原告名義の委任状を利用して、宇井憲男を原告の代理人に選任したうえ、右代理人をして連帯保証契約を締結せしめ、執行受諾の意思表示をなさしめたのである。しかして、右委任状交付当時、契約事項(印刷された不動文字以外の部分)は、決定されていなかったのである。したがって、右は、民法一〇八条に違反し、無効である。

7.本件公正証書の作成嘱託行為、連帯保証契約、執行受諾の意思表示は、民法九〇条により無効である。すなわち、金融業者として経済的に優位にある勧業信用組合が、中村忠夫の窮迫に乗じ、かつ、原告の無知無経験に乗じて、あらかじめ代理人選任の白紙委任状(本件では、あらかじめ印刷された不動文字以外の部分は、全く白紙であった。)と印鑑証明書を交付させておき、自己にとって都合のよい使用人を代理人に選任し、代理行為に特段の制限を受けていないことを奇貨として、原告にとって命を奪うにも等しい不利益な契約を締結し、本件公正証書を作成させるに至ったのは、公序良俗に反するものである。

8.仮に、本件公正証書が有効であるとしても、本件公正証書記載の中村忠夫の借受金債務は、その後、元本の全部および遅延損害金の一部が弁済により消滅し、現在は、昭和四三年四月二日から昭和四八年五月二九日までに生じた遅延損害金合計金二〇〇三万六九一三円が残存するのみであるから、本件公正証書の執行力は、右以外の部分については排除されるべきである。

二、被告訴訟代理人は、請求の原因に対する答弁、抗弁、再抗弁に対する答弁として、次のとおり述べた。

1.請求原因の1は認める。

2.同2は争う。

3.同3は争う。

4.本件公正証書記載の原告の執行受諾の意思表示および原告と勧業信用組合間の連帯保証契約は有効に成立している。その経過の大要は、次のとおりである。

(一)中村忠夫は、東京都品川区大井町一丁目所在の土地建物(以下、大井町物件という。)を買い受けて同所でパチンコ遊技場および喫茶店を経営することを計画し、昭和四二年二、三月頃勧業信用組合に対し右購入資金の借入を申し込んだ。

(二)その後、中村忠夫は勧業信用組合尾久駅支店に対し、事業計画書を提出し、かつ、具体的に本件金八〇〇〇万円の借入申込をした。同組合は、調査の結果、中村忠夫に返済能力があるとの結論に達し、同人に対し、貸付金額は金八〇〇〇万円であるが、内金三〇〇〇万円は両建預金として定期預金をすること、大井町物件を担保に供し、かつ、連帯保証人二名を付して借入申込書を提出することを指示し、借入申込書用紙(乙第一四号証)を交付した。

(三)中村忠夫は、昭和四二年四月一二日尾久駅支店に、所定の事項が記入された右借入申込書を提出した。右申込書の連帯保証人欄の一つには、原告の住所氏名が記載され、かつ、その名下に原告の印が押捺されていて、中村忠夫は右支店の係員に対し、原告が連帯保証をしてくれることになったと説明した。

(四)そして、実際にも、原告は、中村忠夫の案内で大井町物件を見分したことがあり、同人が勧業信用組合から実質借入金額五〇〇〇万円の融資を受けて買い入れるものであることの説明を受けており、右借入の連帯保証をするものであることの趣旨を十分承知のうえで、右連帯保証人欄に捺印したのである。

(五)尾久駅支店長訴外田辺徹吉および同支店貸付係長訴外西川茂は、昭和四二年四月一九日頃中村忠夫の案内で原告方を訪問し、直接原告に対し、右連帯保証の真意を確めたところ、原告は承諾の意思を表明した。

(六)その後右組合の部内における所定の手続を経て、同年五月一五日付をもって、貸付を可とする理事長の最終決裁が通ったので、この旨を中村忠夫に連絡するとともに、同人に、取引約定書、公正証書作成嘱託の委任状その他本件貸付の実行に必要な書類を交付した。

そして、後日、中村忠夫から尾久駅支店に対し、その連帯保証人欄に原告の署名押印のある取引約定書(乙第一号証)、委任状(甲第三号証)および原告の印鑑証明書(甲第二号証の三、乙第二号証)が他の関係書類とともに提出された。

(七)原告は、みずから右取引約定書および委任状の記載内容を良く見たうえで署名押印したものであって、原告主張のように、原告が中村忠夫に右委任状を詐取されたというようなことはない。

(八)かくて、勧業信用組合は、右委任状に基づき、宇井憲男を原告の代理人とし、本件公正証書の作成を嘱託し、右公正証書が作成されるに至ったものであって、本件公正証書記載のとおり連帯保証契約は成立しているし、執行受諾の意思表示も原告の代理人宇井憲男によって公証人に対し有効になされているのである。

5.原告主張5の、原告の代理権授与行為に要素の錯誤があったとの事実は否認する。

6.同6の、宇井憲男が勧業信用組合の使用人であること、同組合が、原告名義の委任状により宇井憲男を原告の代理人に選任し、宇井憲男が原告の代理人として本件公正証書の作成を嘱託したことは認めるが、その余の事実は否認する。民法一〇八条による無効の主張は争う。

7.同7の主張事実は否認する。

8.同8の、本件公正証書記載の貸金の元本債権、利息債権および遅延損害金債権のうち現存するものが、原告主張のとおり、遅延損害金二〇〇三万六九一三円であることは認める。

(証拠関係)〈省略〉

理由

一、原告主張の1の事実は、当事者間に争いがない。そこで、本件公正証書が作成されるに至った経緯について考える。

〈証拠〉を総合すれば、次の諸事実が認められる。すなわち、

理髪業を営む中村忠夫は、昭和四一年はじめ頃から勧業信用組合の尾久駅支店と取引があったが、大井町物件を購入してパチンコ屋および喫茶店を経営することを計画し、昭和四二年一月頃右支店に融資をしてもらうよう交渉した。

中村忠夫としては、大井町物件を入手するために、五〇〇〇万円以上の費用がかかる予定であったが、被告における貸出限度額はほぼ五〇〇〇万円位であり、その場合、本店の理事長の決裁を得なければならず、種々の事前調査も必要であったから、右支店は、中村忠夫に対し、事の成否はとも角、借入申込書(乙第一四号証)を提出するよう求めた。中村忠夫は、右借入のための連帯保証人になることを、妻の父である訴外江川俊三と原告に依頼した。原告は、中村忠夫の近隣で酒類販売業を営み、中村忠夫とは長い交際の間柄であったので、同人が被告から右事業資金を借り入れるについて連帯保証人となることを承諾し、中村忠夫の妻が右借入申込書の連帯保証人の欄に原告の氏名を記載し、同所に原告みずから押印した(右押印の事実は、当事者間に争いがない。)が、当時、右借入申込書には、借入申込金額その他の記載はなく白紙であった。中村忠夫は、昭和四二年四月一二日右申込書を右支店に提出した。そこで、右支店は、種々の調査をはじめたが、貸出金額が金五〇〇〇万円というほど多額である事例は、勧業信用組合において稀有のことであったので、右支店長訴外田辺徹吉は、とくに慎重を期し、みずから保証人に会ってその人物を見、かつ、保証の意思を確める目的で、昭和四二年四月一九日頃、部下の貸付係長訴外西川茂を連れて中村忠夫の案内で原告方店舗へ赴き、原告に対し自己の身分を説明し、保証の意思があるかどうかを尋ね、原告にその意思があることを認めることができた。かようにして尾久駅支店は、同年五月一〇日本店宛に右貸出に関する禀議書を提出し、同月一五日これを可とする理事長の決裁がなされた。その貸出は、金額を金八〇〇〇万円とし、そのうち金三〇〇〇万円を定期預金とし、金五〇〇〇万円を現実に貸し渡すというものであった。そこで、右支店は、中村忠夫に対し、契約締結に必要な取引約定書(乙第一号証)、公正証書作成嘱託のための委任状(甲第三号証)および根抵当権設定契約書(乙第一六号証)の各用紙を交付し、所要の欄に記名押印を求め、中村忠夫は、自宅に原告の来訪を求め、前記保証の趣旨であることを説明し、原告は、それぞれ右書類の連帯保証人の欄に署名して押印した(原告が右取引約定書および委任状に署名押印したことは、当事者間に争いがない。)。その際、中村忠夫は、原告から印鑑証明書二通(甲第二号証の三および乙第二号証)を受領し(右受領の事実は、当事者間に争いがない。)、前記各書類とともに右支店に提出した。右原告の署名押印の際、貸出金額が金八〇〇〇万円であること、その他返済条件など契約の実質的内容は記載がなく白紙であって、これらは後日尾久駅支店において記入したものであった。そして、勧業信用組合は、同年七月一〇日右委任状に基づいて、自己の職員宇井憲男を債務者中村忠夫および連帯保証人原告らの代理人となし、公証人緑川享に公正証書作成の嘱託をさせ(右宇井憲男による嘱託の事実は当事者間に争いがない。)、ここに本件公正証書が作成され、勧業信用組合は、中村忠夫に金五〇〇〇万円を交付し、別に同人のため金三〇〇〇万円の定期預金がなされた。

以上の諸事実が認められる。〈証拠判断省略〉。

二、本件公正証書が作成されるに至った経緯は、右認定のとおりである。そこで、右認定の事実関係のもとにおいて、原告と勧業信用組合との間に金八〇〇〇万円の連帯保証契約が有効に成立したかどうかについて考える。いうまでもなく、保証契約は、債権者と保証人間の契約であるが、本件の場合、原告の意思表示は、原告から直接勧業信用組合に対してではなく、中村忠夫を介してなされている。すなわち、原告が、貸出金額その他の契約条件を白地とした委任状(甲第三号証)の連帯保証人の欄に署名押印のうえこれを中村忠夫に交付し、その際、中村忠夫において右白地部分を補充のうえ尾久駅支店に交付することが予定されており、実際に右委任状の交付を受けた右支店の手によって、金額が金八〇〇〇万円と補充されたほか所要の契約条件が記入されたのである。右のような場合、中村忠夫をもって原告の代理人とみるか、意思の伝達機関とみるかの問題もあろうが、その点はしばらく措き、そもそも本件において、原告は、中村忠夫に対し、右金額をいくらと補充することを委ねたのであろうか(代理人とすれば、代理権の範囲の問題である。)。本件に顕われた全証拠によるも、この点を明らかにするに足りる証拠はない。証人中村忠夫の証言中には、「借入申込書(乙第一四号証)の連帯保証人欄に原告の押印を求めるより前、大井町物件を原告に見せたとき、原告に対し、勧業信用組合からは五〇〇〇万円しか出ない旨話した」との供述部分があるけれども、さらに同証言によれば、そのときはまだ連帯保証の話は出なかったというのであるから、右供述部分をもって、ただちに、原告が金五〇〇〇万円の債務の保証を承諾したことの証拠とすることはできない。のみならず、右委任状に押印するときには、すでに理事長の決裁があり、貸出額が金八〇〇〇万円であることが決定して、少くとも尾久駅支店はそのことを知っていたものと推認されるのに、その事実が、右支店から直接、または中村忠夫を介して、原告に告げられたことを認めるに足りる証拠すらないのである。そうとすれば、原告が、前述のように、中村忠夫をして右支店に対し前記連帯保証を承諾する旨を述べさせた際には、いくらの債務についての保証を承諾するのかは、明らかにされていなかったとみなければならない。いくらの債務を保証する趣旨であったかは、黙示的に表示されていてもよいが、昭和四二年当時通常の酒類販売業を営む原告が、金八〇〇〇万円に及ぶ債務の保証をする旨黙示的に表示したものとする根拠も見当らない。右のような場合、いやしくも連帯保証を承諾して委任状に署名押印した以上、いかなる金額を補充してもよい趣旨であったと解するのは、いわば無限大の保証を約するものとなり、通常の場合、当事者の合理的な意思に合致するものではない。かような場合には、結局、具体的な金額について、原告の承諾を要するものと解せざるをえない。なお、被告において、原告は金額を金八〇〇〇万円と補充されることを承諾していたものと信ずるに足りる諸種の事情があるときは、別個の問題を生ずるが、前認定のとおり、本件において、支店長田辺徹吉は、みずから原告に会って保証の意思を確かめながら、同人の証言によれば、何ら金額の点には触れなかったのであるから、右のような問題を生ずる余地もない。

右のとおりであるから中村忠夫の前記八〇〇〇万円の借受金債務についての原告と勧業信用組合との間の連帯保証契約は有効に成立しなかったものといわざるをえず本件公正証書に記載された原告の保証債務は実体上存在しないものであり、その余の点について判断するまでもなく右公正証書に基づく強制執行は、許されないものといわなければならない。

三、よって原告の請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、強制執行停止決定の認可および仮執行の宣言について同法五六〇条、五四八条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 杉田洋一)

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